斉藤正男会長が私たちに遺してくれた「介護心得」は、介護が利用者の生涯を通じて、人間性喪失に歯止めをかける唯一の念願であると位置づけ、利用者の生活や介護全般にわたっての心構えと心得について、会長自らの経験から30項目のキーワードにまとめてくださった贈り物です。
人間は、この世に生まれてから、いろいろな苦難、労苦に耐えて長い人生を生き抜いてきます。ところが、老後を迎え、社会や家族での役割がなくなったからといって、ないがしろにすることは人間の尊厳が著しくそこなわれる行為で、許されないことです。高齢者が年をとり、誰もが迎える「あるとき」まで、心豊かに送れるよう、人格を尊重する心構えこそ大切で、一口に申せば敬老、敬愛の精神をもって対応することに専心努めましょう。
高齢者の介護対象者を、おじいさん、おばあさんと呼ぶことは禁句です。対象者のなかには「私は、おじいさんでもおばあさんでもない」と反発、自負する人もいます。対象者には例外なく親から貰った姓名があるのです。したがって、固有名詞で呼ぶことは一人の社会人として、また一人の人格者として認めることになるのです。そして、名前を早く覚えて呼び掛けるとき、一層の親近感が生まれるものです。
人間は、時に誰でも「思い込み」を持つことがあります。浅い知識や情報をもとに決めてかかることは、先入観となって介護のブレーキとなることがあります。また人は、ことの善悪、右か左か、ことさら白黒つけたがるものですが、ややもすると、これが批判的態度に移り変わるものです。心したいものです。
和らいだ、なごやかな笑顔でやさしい言葉で接することです。ある福祉団体が行った介護の「不適切」についての実態調査の結果で、高齢者を子供扱いした職員の言葉が圧倒的に多くあげられました。幼児を扱うような言葉、 猫撫で声は相手の自尊心、人格を傷つけます。過剰サービスと心得ましょう。
挨拶は相手を認め、相手を尊重し、相手と友好関係を結びたいという意思の表明であり、挨拶こそ人と人との愛の架け橋です。黙して語らずでは対人関係は育ちません。挨拶はお金を払う必要のないものです。時間をかけずに相手に満足を与える最良の心のこもったサービスです。笑顔で明るく挨拶しましょう。これをリップサービスと言います。
人は、とかく噂話を好むものです。まして、対象者から知り得た事柄を流布することは、介護者としては失格です。お互いの信頼関係をそこなう原因ですから、個人の秘密事項は絶対に漏らさないように注意しましょう。
介護する第一条件は、やさしい心です。高齢者介護とは「利用者の肌に手を多く触れることです。」やさしい手こそ相手に安心感とやすらぎを与えるのです。多忙に紛れて乱暴な言葉づかいや扱いをすることは、相手に不信感を与えることになります。今一つ注文しますと、やさしい手にあたたかい言葉を添えることも忘れないようにしましょう。
「傾聴」という言葉がありますが、相手の話に耳を傾けて、ひとことも聞きもらさないぞという態度で、よく聞くことこそ、信頼を得る第一歩です。そのとき、相手の言葉を入れながら話を返すことができれば、あなたは話上手といえるでしょう。
利用者の前で私的な話をされることほど不愉快なことはありません。「あなた今晩の夕飯はなに」「○○さんは今何をしているの」等、利用者に直接関係のない話をすることだけは絶対に避けましょう。
利用者と接するとき、お互いに人間と人間とのかかわりであることを、まず自覚しなければなりません。したがって、そこには、媚びたり、へりくだったり、威張ったりという上下の関係はありません。あくまでもその関係は対等です。そこにあるのは、介護する側、介護される側の信頼関係がすべてなのです。そして、介護してやるのだという思い上がりは厳に慎まなければなりません。当然対応は、差別のない平等、公平でなければ信頼は得られません。
忙しいのだから「仕方がない」といって、利用者の望む用件にすぐ応えられず「ちょっと待って」は、実は自分本位な考え方なのです。「仕方がない」のではなく「仕方がある」と思えば、即座に用件を満たすことにつながるものです。とかく、「多忙」は「なげき節」になりがちですが、まずもって利用者の「今」を大切にしましょう。
介護の基本になるケアプランを作成する場合、個々のケース記録が基になります。周到な、キメ細かい記録が職種ごとに寄せられてはじめて情報が共有され、適切かつ実行可能なケアプランが出来上がるわけです。ひとつの情報が欠けたことで、ケアプランを作成できないこともあるのです。ただし、記録はできるだけ客観的な記述が求められていることに注意しましょう。
「温故知新」とは、古きを尋ねて、新しきを知ると解釈します。介護する側は、まず対象者に信頼されることが第一条件です。胸襟を開いてという言葉がありますが、そのためには必要な方策として利用者の過去に触れた質問をすると、高齢者は昔の話、過去の話は鮮明に覚えていますから、こうした問い掛けに喜色を浮かべて答えてくれます。そうなればしめたもの、話はどんどん広がり、結果としてラポール(信頼関係)は成り立つものです。これこそつきあい上手といえましよう。とりわけ普段口の重い人、言葉の少ない人には有効です。
ときには、自分の考えを改めて見直し、考え直すことの必要があるものです。介護に当たってこれでよいのだろうか、自分中心の主義、主張、行動に走っていないだろうか。何か大事なものが抜けてはいないだろうか。自問自答の中では見出せないものがきっとあるはずです。「今」行っている援助についても同じことで、忙しいとつい自分しか見えなくなります。その結果、相手の気持ちも、心も読めなくなります。そんなときに、上司、先輩、同僚に助言を求める心の余裕と、立ち止まって考える時間を持ちたいものです。
マンネリ化の現象の中の一つに公私混同があります。当然のことなのに、精神が麻痺していて、いろいろな面で公私が判然としていないと気がついたら直ちに改めましょう。
利用者にはひとりひとりの個性や生活のリズムに沿った暮らしがあります。一日をどのように過ごすのかを決めるのは利用者と家族です。忙しさに紛れて利用者の暮らしを乱したり、寝かせきりにしないようにしましょう。
生活介護の業務の中の一つに、常に冷静な目での観察があります。早く気づいていれば大事に至らなかったのに、ということはしばしばあることです。摂食、排世、入浴等を通して気をつかうことは、介護の基本的対応です。小さな変化でも見逃すことのないよう、細かい気配りに努めましょう。もし変わったことを発見したときは、速やかに適切な対応をしましょう。
高齢化現象の特徴の一つに、目まぐるしく変わる現在の環境についていけなくなり、思考も鈍化する中で、過去のことだけは鮮明に記憶しているという傾向があります。何年前の何月何日の何時に、誰が、どこで、何があったという具合に驚くほどに覚えています。利用者は、過去を思い出す過程で晴れやかな思いに浸っているのです。高齢者にとって、まさに過去は心の財産なのです。そんな時には大切に見守ってあげましょう。
平素、介護の業務に精通していて、この利用者のことについては、自分が一番よく理解しているのだという自信を持つことが肝要で、その上ではじめて、駄目を押すことの決断、勇気が生まれるものです。したがって常に利用者の家庭を含めて出来得るかぎり生活全般の情報を少しでも多く持つことが必要です。
介護する側にあるとき、寝ている利用者に向かって立ったままの姿勢で話し掛けると、それは上から下への強圧的な態度に変容します。どんなときにも腰を下ろして目線を合わせるのは、やさしい気配りのあらわれで、利用者も好感を持って聞いてくれます。こうこういう態度を常に心がけていれば、腰を上げてと言わなくても、そっと腰を上げてくれるような関係が生まれるものです。
話し上手の決め手になるものに、話題の糸口を持っていることが大切です。シ、タ、シ、キ、ナ、カ、ニ、衣食住のどれかを使って対話、会話の糸口にすることを心がけましょう。対話、会話の乏しい関係では、乾いた砂漠にも似て、まったく無味乾燥、相手の苦しみ、悲しみ、そして喜びを共にすることなど遠く及ばない他人事で終わってしまいます。
利用者とご家族の関係が時にギクシャクする場合があります。ご家族が利用者を気づかって来院されると、どんなことでも聞きたい心情にあることは当然です。利用者とご家族の間に立って架け橋の役割を果たすことも業務の一つです。
サービス提供は、医師、看護師、介護支援専門員、社会福祉士、介護福祉士、ケアワーカー、リハビリスタッフ、栄養士、事務部門等、数多くの職種で組織されていますが、いずれも自己の業務の範囲で完結することなく、相互の連携をはかり情報を交換し、チームワークが円滑に行われてはじめて、機能が発揮できるわけです。したがって、自己の業務の範囲に踏みとどまっていては利用者は見えなくなります。他の職種との連携プレーに心がけましょう。そのためには、他の職種についてもある程度の知識を持って、理解に努めることが大切です。
介護の主たる業務は、入浴、食事、排泄ですが、いずれも利用者の生理的欲求です。そこで、今一つ踏み込み、利用者の心の領域までの思いを持つことができれば、利用者と共に悲しみ、共に喜び合う、言い換えれば、共感共苦のかかわりを持つことができるのです。ここまでくれば介護者としてはホンモノです。
介護に当たっての心構え(ハート・Heart)だけでは充分とはいえません。利用者を正しく理解するための知識(ヘッド・Head)、技術(ハンド・Hand)をしっかり勉強して、自分自身の質を高めることによって、心にゆとりが生まれます。そして、大事なことは、普段からの自己の健康管理には万全を期して心身ともに健康(ヘルス・Health)であることが求められます。
「自発的に無報酬で奉仕活動に参加する人」をボランティアと言います。多忙な日常生活の中をやりくりしてボランティアとして奉仕活動されている方々には、職員として「ありがとうございます」と、その労をねぎらう謙虚な言葉をかけましょう。ボランティアの皆さんに、感謝の気持ちをもって接すれば、ボランティアとして、一層の励みを感じていただけるのです。
平素福祉の心を説く前に、福祉とは「対象者を正しく理解して、必要なサービスを提供すること」と定義しています。加えて高齢者の介護は「福祉の心」を持つことです。「福祉の心」とは高齢者(対象者)に尽くす心だと思います。やさしさ、ねぎらい、いたわり、思いやり、励ましの心を常に抱いて利用者に接してください。
介護業務に携わって、長期にわたるうちに、いつの間にかマンネリズムが心の隅に忍び寄ってくるものです。マンネリズムは、新鮮な感激を彼方に追いやってしまいます。これを職業病と言う人もいます。常に新しい感動、喜び、発見を得る心豊かな品性を持つことは大切なことです。そのためには、はじめて職場に立ったときのあの緊張感を今一度呼び戻してください。そのときにマンネリズムは消え、これこそ、常に新鮮な感激を持つことができる秘訣なのです。
介護を担当する職員に限らず、真正会の職員全員にいえることですが、職場に着いたときは、真正会から選ばれた職員の一人であることを自覚してください。そして、利用者の前にあるときあなたは、真正会を担う主役の一人であることを認識して職務に努めてください。「ステージに立つ心」をオンステージマインドといいます。
真正会のめざす事業理念に共感し、職員の一人としての役割を担い、毎日の勤務を通して、真正会の職員であることに喜びを感じ精進するとき、必ずやあなたの人生にとって誇れる何かをつかむことができるでしょう。その結果は利用者とあなたの幸せのためになることなのです。